クラシック音楽の楽しみかた

■JPOPには唯一絶対のオリジナルがある
筆者は、高校時代にバンドを組んでいた。
自分はギターなどをやっていなかったが、ピアノをやっていた。そのことをどこから聞いたのだろう、突然、東京事変をやろう、と言われた。ご存知、東京事変の音楽ではキーボードが大活躍する。バンド仲間内ではギターやドラムのできる人はたくさんいたものの、ピアノ(キーボード)が出来る人がいなかった。それで、自分が選ばれたわけである。

各自練習して、ひととおり通せるようになってからスタジオに入る。

みんなで合わせる。
録音して、聞いてみる。

「あれ?ここってどうなってたっけ?」
となった時には本物(本人)の演奏を聞く。

■クラシックに絶対はない
前置きが長くなってしまったが、クラシック音楽とJ POPの最たる違いはここにあるように思う。つまり、クラシックには絶対のオリジナルがないのだ。クラシック音楽というジャンルのうち、新しいものでも1900年代前半。このころ、録音技術はない(稀に特殊な方法でレコーディングされたものも無いではないが、今のように、まともな鑑賞に堪える音ではない)。

だから、みんなが、自分の解釈が正しいと思って演奏する。


■クラシックは小説に似ている
作曲家は、ある旋律を思い浮かべ、それを楽譜にすることによって記録する。私たちは、楽譜から音に戻す。これを、ある学者は「再創造」といった。誰がどう楽譜を再現しても、作曲家が思い描いたものとは違う。だからといって、駄目かというと、そんなことはない。むしろ、作曲家よりもプロの指揮者によって演奏された方が良い曲になると言われるほどだ。

これは、小説家がある風景を思い浮かべて文字にしても、読者が想像する風景は十人十色だということに似ている。

文字も楽譜も、
普遍的であるがゆえの抽象性がある。

オリジナルが無いからこそ、
全てが正解である。
同じ指揮者とオーケストラの演奏であっても、回が違えば全然違った演奏になる。

曲そのものを味わうという楽しみだけでなく、同じ曲の色々なバージョンを聴いて、より良い演奏、より自分好みの演奏を探す楽しみがクラシックにはある。